シカゴ・ヒップホップと代表的なラッパーたち

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シカゴという街

アメリカで3番目の巨大都市

画像はTripAdvisorより

シカゴは、アメリカで3番目に人口の多いメトロポリスであり、イリノイ州で最大の都市です。

鉄道・海運・航空の拠点として、また五大湖工業地帯の中心として経済的に発展し、かつてはロサンゼルスよりも大きな都市として栄えていました。

また、運輸業の拠点として栄えたことで、先物といった金融業も発展しました。1848年には、今でも世界的な先物取引所であるCMEグループが創業しています。

シカゴの経済格差

一方で、良い話ばかりではありません。

シカゴでは、経済発展の裏で、貧富の差が拡大しました。

肥大する経済発展とは裏腹に新たな社会問題も生まれた。それが貧富の差の拡大で、20世紀に入るとウェストサイドでスラム化が進行した。またかつて奴隷として、アメリカ建国時に農業などの労働を担っていたアフリカ系アメリカ人が、1914年から1950年にかけてアメリカ南部から次々に移入した(アフリカ系アメリカ人の大移動)。彼らは法律上・表面的には奴隷の身分を解かれてシカゴにやって来たが、人種差別などから低賃金重労働以外に就くことはほぼ不可能であり、新天地での生活も相変わらず苦しいものだった。暴動は日常茶飯事となり、とりわけ1919年の暴動(英語版)は過去最悪となった。更に腐敗政治の蔓延などで市街は無法地帯となり、その時多くの住人が市街地を去った。(中略)

1950年から1970年にかけてその職にあった民主党のリチャード・J・デイリー(英語版)市長は、様々な有力者の支持を受け、市街地の再開発と治安の改善、賃金格差の是正などに努め、市政を建て直した。ニューヨークやボストンなどが経済発展に陰りが見え始めた頃に、シカゴは比較的堅調な経済情勢を維持できたのも、この市長の善政のおかげだったといわれている。

(wikipediaより引用)

1940年にはシカゴの8.2%を占めるに過ぎなかった黒人の割合は、1970年以降は30%を超えています。

経済格差も問題となっており、Wikipediaによると、人口の19.6%が貧困線以下、また、全人口のうち18歳未満に絞れば28.1%が貧困線以下の生活を送っていることになります。

治安も悪い街であり、2012年以降は殺人事件が有意に増加。10万人あたり18.5人が殺害されるという発生率で、全米平均の4倍近くになっています。

シカゴのヒップホップ

皮肉にも、こうした社会のあり方は、素晴らしいヒップホップ・アーティストを輩出する土壌となりました。

もちろん、シカゴがブルースとジャズの街であったことも、シカゴのヒップホップの発展に大きな役割を果たしているでしょう。

シカゴからは、たびたびヒップホップに大きな影響を与えるスタイルが登場しています。

チョッパー

チョッパーとは、ものすごい早口でラップをするスタイルのことを言います。

シカゴの早口ラッパーといえば、やはりTwistaを聴くべきでしょう。

チップモンク

チップモンクとは、ラップではなくて、トラックのプロデュース手法です。

元の音源をサンプリングする際にピッチを跳ね上げて、音程を高くして使うというやり方で、ソウルフルなアカペラ等をサンプリングしている場合に、特にソウルフルでエモいトラックに仕上がります。

カニエ・ウェストが初期に多用したことで有名です。

交通事故で口にワイヤーを通さなければならなくなった際に、入院中に製作・レコーディングされたという、チャカ・カーンの「Through the Fire」をサンプリングした「Through the Wire」は名作です。

ドリル

ドリルは、2010年代の治安の悪化で殺伐としたシカゴの南部で生まれた、独自のトラップ音楽シーンです。

シカゴは、2012年には500人以上が殺人事件によって命を落とし、イラクに派兵された米軍以上の死者数となったため、Chi-raqと呼ばれるほどで、全米の注目を集めました

このドリルシーンを、音楽業界がビジネスとして取り上げて消費したことで、そうした生き方を目指したり、巻き込まれる若者が増えたとして、シカゴ出身のVic Mensaなどは強い怒りを覚えていることをインタビューなどで明かしています。

ゴスペル

同じく2010年代に生まれてきたのがチャンス・ザ・ラッパーを中心としたゴスペルラップともいえる流れです。合唱などを始めとする、教会的なサウンドを取り入れたものです。

ドリルとゴスペルの対称的なあり方もまた音楽シーンの注目を集めました。

ドリルの中心であるチーフ・キーフと、ゴスペルラップの中心であるチャンス・ザ・ラッパーをビーフに持ち込めないかと、何とか敵対的な発言を引き出そうとするインタビュワーもいたほどだと言います。

そうした様子は、Playatunerで行われた、シカゴのプロデューサーL10へのインタビューでも明らかにされています。L10は、チャンス・ザ・ラッパーやノーネームといったゴスペルラップの演者たちのエンジニアリングをしてきた人物です。

L10:Chief Keefが出てきて、その後にChanceが出てきたんだ。興味深いのが、シカゴのヒップホップメディアなどはChief KeefとChanceを…えー、なんて言えばいいかな

Kaz:ビーフさせるというか、いがみ合いを勃発させる?

L10:そんな感じ。Chanceはどちらかと言うと「コンシャス」よりなアーティストで、Chief Keefはドリルアーティストだった。だからシカゴのヒップホップメディアとかは、いがみ合いをする彼らを見ることができるかどうかを試してたと思うんだよね。

Kaz:話題性とアクセス数のためにですよね?

L10:そうそう。

Kaz:俺そういうメディアのやり方が嫌いなんですよね。

L10:そう!だからインタビューとかでも、Chanceとかに対して「Chief Keefについてどう思う?」みたいなことを聞くんだ。

Kaz:どうにかしてネガティブな答えを引き出そうとするんすよね。

L10:そうそう!でもChanceと彼のSavemoneyクルーは皆「俺らはChief Keef大好きだよ!」って感じだったんだ。

Kaz:だからVic Mensaもデビュー・アルバム「The Autobiography」にてChief Keefをフィーチャリングしてましたしね!

L10:まさにそう!町として成長していくには、お互いをサポートしあって、擁する必要があるんだ。昔のシカゴのアーティストたちは「自分の世話だけをする」というメンタリティを持っていたと思うんだけど、俺が今まで一緒に仕事した「仲間」たちは、そのメンタリティを撤廃することができたんだ。お互いをサポートするという形が作れたと思うよ。

シカゴのゴスペルラップやチャンス・ザ・ラッパー周辺のラッパーたちは、音楽性こそ聴きやすく温かみあがったりもしますが、多くが友人や身近な人間を亡くした経験をしており、哀しさがひしひしと伝わってくるものが多いのも特徴です。

このように、シカゴは新旧にわたって、様々なスタイルを誕生させて、ヒップホップシーンに影響を与えてきました。

代表的なラッパーたち

そんなシカゴのヒップホップを代表するラッパーたちを紹介したいと思います。

1990~2000年代のラッパー

Kanye West(カニエ・ウェスト)

まずは、なんといってもカニエ・ウェストを避けて通ることはできないでしょう。

カニエは、以下に紹介するコモンの盟友でもありますが、元はコモンの長馴染みのプロデューサーであるNo I.D.のもとでプロデュースを学びました。

その後、カニエはジェイZのRoc Nationと契約することに成功して、名プロデューサーとして名を馳せます。

しかし、自分はプロデューサーに留まるような才能ではないとして、本当に出来の良いビートは自分のデビューアルバムのために確保していたというカニエ(笑)。

無事にラッパーとしてもデビューして、大成功します。

問題発言なども多く、エゴイスティックな性格のカニエ・ウェストですが、音楽の実力は間違いなくピカイチです。

Common(コモン)

コモンは、シカゴが誇るベテランラッパーであり、リリシストでもあります。

シカゴのヒップホップのコンシャスなイメージをつくりあげたのは、コモンの大きな功績だと言えるでしょう。

カニエ・ウェストの立ち上げたレーベル「Good Music」に移籍した後に、カニエのプロデュースでリリースした『Be』はXXL誌において5段階中の5の評価を受けています。

Lupe Fiasco(ルーペ・フィアスコ)

ルーペ・フィアスコも、シカゴが誇る社会派ラッパーの一人です。

カニエ・ウェストのセカンドアルバムに収録されている「Touch the Sky」への客演では、言葉遊びを駆使したとんでもない作詞力を披露して注目を集めました。

その後、名作であるファーストアルバム『Food and Liquor』をリリース。

現在、カリフォルニア州コンプトン出身のケンドリック・ラマ―が世界的に活躍していますが、シカゴ版の元祖「Good Kid Maad City」ともいえるような存在だと言えるでしょう。

2010年代のラッパー

続いて、2010年代になって新世代による盛り上がりを見せているシカゴのヒップホップシーンの代表的なラッパーたちを紹介します。

Chief Keef(チーフ・キーフ)

チーフ・キーフは、シカゴのドリルシーンの立役者です。

16歳という若さで嫌いなものをひたすら連呼した楽曲「Don’t Like」のMVが注目を集めてシーンに登場しました。

この楽曲を気に入った上述のカニエ・ウェストは、レーベルメイトたちとリメイクバージョンを製作したほどです。

チーフ・キーフは、今の若いラッパーたちに影響を与えたのは自分だと発言しており、これは実際本当にその通りだと思います。

若いうちから過激なキャラクター性でシーンに登場し、「フレックス」的な価値観を真っ先に体現して、成り上がる方法を実践して見せたのは、良くも悪くもチーフ・キーフだったといえるでしょう。

Chance The Rapper(チャンス・ザ・ラッパー)

そのチーフ・キーフがシカゴの暴力的な側面を表しているとしたら、コンシャス寄りなラッパーとして登場したのがチャンス・ザ・ラッパーです。

一時期はAcidというドラッグの中毒になっていたチャンス・ザ・ラッパーですが、ドラッグの使用による停学中に製作したミックステープが注目を集めて、シーンに登場。

ドラッギーな雰囲気を、ジャズやヒップホップ、ゴスペルなどと上手く混ぜ合わせることで、独特な音楽の世界観を創り上げました。

レーベルに属さず、インディペンデントなアーティストとして活動している点も特徴的です。

また、チャンス・ザ・ラッパーの周りからは、以下に紹介するように本当に素晴らしいアーティストたちが次々とカムアップしています。

Vic Mensa(ヴィック・メンサ)

ヴィック・メンサも、チャンス・ザ・ラッパーの周辺で音楽活動をしてきたラッパーです。

元々はバンドのボーカルをしており、チャンス・ザ・ラッパーのようなゴスペル寄りとは少し違って、ロック寄りの歌を披露したり、トラップ寄りのトラックでラップをします。

シカゴのストリートの荒々しさを感じさせる音楽性と、友人を複数亡くしているという哀しい過去、また描写力の高いリリックが特徴で、2010年代のシカゴを最も生々しく感じさせるアーティストの一人だと言えるでしょう。

お前は良いやつだった。

でも、良いやつは、いつも地元の奴らとつるんで、早死にする。

お前が犯罪に手を染めていたことは知ってるよ。

だからって、Kenwood Liquorsの前で射殺されるほど悪いことじゃないはずだ。

(Vic Mensa – “Heaven on Earth”より)

Saba(サバ)

Sabaも、チャンス・ザ・ラッパーの代表曲のひとつである「Angels」のサビで客演するなど、チャンス・ザ・ラッパー周辺と繋がりが深いアーティストです。

彼もまたVic Mensaと同じく身近な人間(親戚)を亡くしており、その経験を描いた『Care For Me』を今年4月にリリースしています。

聴いている人間にもカタルシスを感じさせるようなアルバムとなっています。

洋楽ラップを10倍楽しむマガジン

グレーな空の向こうの従兄弟に宛てたSabaの手紙

Noname(ノーネーム)

サバやチャンス・ザ・ラッパーと繋がりの深い女性ラッパーです。

元はポエトリー・リーディングをしていたといいます。ヒップホップのアーティストの中では、やや抽象的な表現が多いのも、そのためでしょう。

デビューアルバムの『Telefone』は本当に素晴らしい作品で、上述のサバが多くのトラックをプロデュースしています。

こうしたラッパーたちの活躍によってシカゴが平和な街になっていくこと、今後も素晴らしいアーティストたちが素晴らしい楽曲を聞かせてくれることを願って、今回は終わりにしたいと思います。

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