『「ひらめき」を生む技術』(伊藤穣一)を読みました

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先日聴いた伊藤穣一さんのスピーチが凄く分かりやすくて刺激を受けたので、伊藤穣一さんの本を読んでみました。

伊藤穣一さんは不思議な経歴を持った方で、タフツ大学でコンピューターサイエンスを、シカゴ大学で物理学を学ぶも、両方途中で授業がつまらなくなって中退。その後、日本でのインターネットの普及に尽力し、インフォシークジャパンやデジタルガレージの創業に携わっています。現在はMITメディアラボの所長として知られています。MITメディアラボからはGoogle Glassや、スマホによるクレジット決済のSquareのプロトタイプ等が研究を通じて開発されています。

そのMITメディアラボの所長就任以来、伊藤穣一さんはよりオープンな大学を目指して運営してこられました。この本はそんな伊藤穣一さんと他業界の方々の対談を4つ収録していて、それを通じて伊藤穣一さんの考え方を知ることが出来ます。

企画ありきではなく、コラボと化学反応を楽しむ

これはスピーチでもおっしゃっていたのですが、現在はもう企画ありきの時代ではなくなっています。

従来は、エリート的な人たちが企画会議を何度も行って企画を作り上げ、資金を調達して、人を集めて、最後にその企画物を作って世の中に出し、マス広告で大量に売るという流れが一般的でした。ですから予算も体力もある大企業が強かったのですね。

ところが、現在はウェブサービスであればパソコンとサーバーがあれば基本的には何でも作れてしまいます。ハードウェアの世界も技術の発達や3Dプリンタの登場により簡単にプロトタイプを作れるようになります。そうなってくると物が最初に出来上がるようになります。

つまり、アイデアが浮かぶ→とりあえず物を作ってみる→流行る→資金を調達して規模を拡大する→エリート的な人たちを入れて上場とかする、という流れに現在はなっています。GoogleやYahoo!、Facebook等、現在世界を支配している新興企業は全て出来上がる順番が丸きり違うのです。

そんな中でメディアラボでは企画ありきでなく、コラボと化学反応を楽しむ文化を大切にしているように見えます。

J.J.エイブラムズ:このように、映画のシーンだろうと、テレビ番組の物語だろうと、最も魅力のあるアイディアにいつもオープンでいないと、そういった可能性が閉ざされてしまいます。映画やテレビの世界で仕事をする上で面白いのは、この常に動いている感覚です。物語は常に展開し続けていくものなのです。

けれども、周りの期待に応える仕事としてしかそのプロジェクトを捉えていないと、そういう展開が起こる可能性に制限が掛かってしまいます。「偉大」といわれる発明の多くは、作ろうと思って作られたものではないことは周知の事実です。

僕が興奮するのは、そういう予測できないことが起きた時です。台本の上で重要でなかったものが、出来上がってみると映画の中で最もお気に入りのシーンになったり、シリーズで一番好きな登場人物になったりしたときです。それは、現場で「うわ、大変だ!もしこうだったらどうだろう!?」という、突発的なひらめきがきっかけとなることが多いのです。

(中略)

伊藤穣一:なるほど。「霧の中のドライブ」という表現は良い喩えだね。頭の中で方向性やだいたいの道筋だけを把握していて、目的地が近づくにつれ段々と地図を描いていくという、われわれのプロジェクトの進め方にも当てはまります。

伊藤穣一:ある会社に「この商品をもっと効率よく作れないかな?」と聞かれても手伝ってあげられませんが、「この商品の構造は、根本的に間違っているだろうか?」という問いに対しては「別の角度から、こういう風に見たことある?」と、斬新な意見を述べることができます。

「私は女性用カミソリの担当者だけど、女性にもっとカミソリを使ってもらうためには、どうしたらいいでしょう?」と聴いてくる人が実際にいました。それよりは、「私はこういう者ですが、何か一緒に出来ることはないですか」と聴いてくる人との方が面白いものが生まれる可能性があります。

途中のプロセスまで徹底的に練られた企画書の時代は終わったんですね。その点ヒップホップの世界はコラボと曲作りありきなところが多くて進んでますね。

また、良いアイデアにオープンであるというのは非常に大切そうで、これはXenRoNさんに聴いた話なのですが、たとえばアンディ・ウォーホルは次にどんな作品を作ったらいいか・複数作った作品の中でどれを世の中に出せばいいか等を決める際に他人の意見を聴いて回ってたそうなのですね。これってアーティストとしては凄く不思議な行動に見えるのですが、周りの良いアイデアにオープンだということを突き詰めると、こういうことなのかもしれません。

 ひらめきとは何なのか

こうして見ていくと、少なくとも伊藤穣一さんやMITメディアラボにおける「ひらめき」の正体が少しづつ見えてきます。

つまり、うんうんと考えて頭の中に突然神が舞い降りるようなものが「ひらめき」なのではなく、おおよその方向を自分が決めた後で、そこに対して発生するイレギュラーこそが「ひらめき」の元なわけです。

だから、どうすればイレギュラーが発生する環境を作れるかということに重点を置き、コラボによる物作りやアイデアに対するオープンな姿勢、そしてイレギュラーの中でも物が完成しないといけませんから、とにかく物を作り終えることを重要視する文化を育んでいるということだそうです。

ということで

おおよその方向性を決めたら、その後はコラボによるイレギュラー等を歓迎して、良いアイデア・ひらめきに繋げるというお話でした。

スプツニ子!氏をMITメディアラボ助教授に取り込んだのもイレギュラーを歓迎すると、そういうことなのかなぁと。

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