はじめに
露地(茶庭)について、詳しく知りたい方へ。
この記事では、以下の内容を説明しています。
この記事の内容
- 露地(茶庭)とは?
- 露地(茶庭)の構成は?どんなものがある?
- 有名な露地(茶庭)は?
露地(茶庭)について、ひと通り分かるようになっているため、ぜひ最後までお読みください。
written by @raq_reezy
露地(茶庭)とは
露地(茶庭)とは
露地(茶庭)とは、茶室へと向かう空間につくられた庭のことです。
千利休が大成させた茶道と密接な関わりがあり、外腰掛や中門(中潜)、内腰掛などが設けられ、来客はルール・マナーに従って、露地を通って、お茶をいただきます。
露地(茶庭)の歴史
元々、室町時代には、茶室への通路を「路地」と呼んでいました。
安土桃山時代に入ると、千利休が茶道を大成させる過程で「路地を通って茶室に向かう行為」も茶道の体験の一部として組み込まれていきました。
侘び・寂びを重んじる茶道は、深山幽谷あるいは現世から離れた空間へと赴いて、質素にお茶をいただく文化となり、露地はそうした「現世と離れた空間への道のり」として認識されることで、路地から発展・進化したのです。
露地(茶庭)は英語で何?
露地(茶庭)は、英語で「Teahouse Garden」といいます。
露地(茶庭)の構成
露地(茶庭)は、茶道の作法の中で生まれてきた日本庭園です。そのため、露地(茶庭)には、基本的な構成や使い方があります。
露地(茶庭)の図面
露地(茶庭)は、上空からみると、上の図面のようになっています。
露地(茶庭)の構成
(1)茶室
まず、邸宅の端っこに茶室が設けられます。上の表千家の邸宅であれば、右上の「不審庵」がメインの茶室となっています。茶室までは邸宅の中を通ることもできますが、もうひとつの道として露地(茶庭)が設けられています。
(2)中門と二重露地
露地(茶庭)は、ざっくりと2つの部分に分かれます。
中門(中潜)の外側である外露地と、中門の内側である内露地です。上の図面でも、庭の中央あたりにある石燈籠の左下に「中潜」が確認できます。これよりも玄関側が外露地、これよりも茶室側が内露地となります。
外露地と内露地という二つに分かれているため、二重露地とも呼ばれます。
(3)外露地
外露地には、外腰掛が置かれます。外腰掛は、来客が揃うまでの待ち合いスペースです。
来客は、まず邸宅に入って、袴付という部屋(上の図面では本玄関のすぐ奥)に入ると茶道の着物に着替えます。着替え終わると、外露地に出て、外腰掛でその日の来客が全員揃うのを待ちます。
来客が全員揃うと、家の主人が中門まで迎えに来ます。
(4)内露地
来客と主人が挨拶を済ませると、全員で中門を潜って、内露地に入ります。
内露地では、飛石や敷石に沿って、やや迂回して道中を楽しみながら、茶室に向かうようになっています。その道中には、石燈籠などが置かれ、現世から離れた幽玄な空間へと入っていく様子が演出されます。
内露地を進んでいくと、内腰掛があります。上の図だと、梅見門と記された門を潜ったあたりに内腰掛があります。内腰掛は、内露地での待合スペースです。来客が多い場合には、全員同時に茶室に入ってお茶をいただくことができません。そこで、二つのグループなどに分けて、お茶を出します。その間、もう片方は内腰掛に座って待ちます。
内腰掛の右上には砂雪隠(すなせっちん)という建物が確認できます。これは屋外トイレです。砂雪隠は、常に来客に備えて綺麗に掃除しておきますが、一般的には来客は利用しないのがマナーだとされています。
露地(茶庭)にあるもの
石燈籠
石燈籠は、浮世離れした幽玄な世界に入っていく様子を表現するのにぴったりなため、多くの露地に置かれています。千利休が、明け方の石燈籠の残り火に侘び・寂びを感じて、露地に取り入れたとされています。
蹲居(手水鉢)
手水鉢は、手を洗うための水が溜められている鉢を指します。
手水鉢の周りには石組が組まれるのが一般的で、これらをあわせて蹲居(つくばい)といいます。蹲居は、やや背が低くつくられるのが一般的で、手を洗うときに、かがむ(つくばう)必要があることに由来しています。
手水鉢には、常に新しくて綺麗な水が注がれます。手水鉢から流れていく水は地面に落ちますが、水が落ちるところに穴を掘って、壺などを埋めておくことで、水が壺に落ちる音を響かせる仕掛けが江戸時代に生まれました。これを水琴窟といいます。水琴窟を発明したのは、江戸時代を代表する作庭家の小堀遠州だとされています。
石
(1)飛石・敷石
飛石や敷石は、道を示すために地面に埋める形で設置されます。飛石は、単に石をひとつずつ埋めて道を示すのに対して、敷石は長方形の形になるように石を敷き詰めます。
敷石の方が歩きやすいというメリットがありますが、深山幽谷に入っていくに連れて、道中は不安定になるのが一般的なので、中門を潜ったあたりには敷石、さらに進むと飛石になっていきます。
(2)正客石・貴人石・相客石
正客石などは、腰掛において、足置きとして設置されます。
正客が座る正客座に置かれるのが正客石、次客以下が座る相客座に置かれるのが相客石です。また、最上客の座る貴人座に置かれるのが貴人石です。
貴人石、正客石、相客石の順に、石の高さを調整するのが一般的です。
(3)踏分石・関守石
踏分石や関守石は飛石の一種ともいえます。
飛石によって続く道の分岐点には踏分石が埋められます。これは少し大きめの石を埋めるのが一般的です。
また、関守石は縄で十文字に結んだ石を指します。飛石の上に置かれ、通行止めを表します。つまり、飛石の分岐点においては、関守石のないほうに進むのが正しい道のりだということです。
(4)客石・乗越石・亭主石
客石、乗越石、亭主石は、中門(中潜)のあたりに埋められる飛石の一種です。
来客と亭主が挨拶をするとき、来客は中門の外露地側の客石の上に、亭主は中門の内露地側の亭主石の上に立って挨拶をします。客石と亭主石の間には乗越石が置かれます。
(5)手燭石・湯桶石・水掛石
手燭石や水掛石は、蹲居を構成する石組に用いられる石です。
手燭石と湯桶石は、手水鉢に対して、左右に置かれる平らな石を指します。夜の茶会を行うときには、手燭石に手燭(明かり)を置いて、手水鉢が見えるようにします。また、冬には手水鉢の冷たい水で手を洗うのは辛いため、湯桶石に湯桶を置いて、お湯で手を洗います。
水掛石は、手水鉢からの排水を隠すために置かれる石です。
植栽(樹木・植物)
露地は、深山幽谷の山の中に入っていく様子を演出する庭なので、山にある様々な草木が植栽されます。
あまり色鮮やかな草花は用いられず、緑色のモノトーンに抑えられるのが一般的です。下草としては、苔やシダ類が用いられることが多く、樹木としては落葉樹などが植えられます。
有名な露地(茶庭)を紹介
表千家の茶室「不審庵」(京都)
表千家は、千利休を祖とする千家の本流です。千家の三代目である千宗旦の三男から続く家系となっています。
不審庵は、屋号のようなもので、もともと千利休が建てた茶室でしたが、その茶室は残らなかったため、二代目の千少庵も不審庵を建てました。そちらも残らず、三代目の千宗旦も不審庵を建てたところ、こちらは改築を重ねつつも存続。しかし、1914年に焼失してしまい、再建されました。
表千家の邸宅では、不審庵へと至る道のりは本格的な露地(茶庭)となっており、外腰掛や中潜、内腰掛などがみられます。
不審庵とその露地は一般非公開ですが、実は見学願書を1ヶ月以上前までに出しておくと、許可証が届き、見学が可能です。見学願書は郵送もしくは不審庵で受け取ることができます。見学が可能な日は、1月・8月・12月以外の22日です。
裏千家の茶室「今日庵」(京都)
裏千家は、千利休を祖とする千家で、茶道で最大の流派です。千家の三代目である千宗旦の四男から続く家系となっています。
今日庵は、三代目の千宗旦が三男に表千家を引き継いだ後に、不審庵の裏に建て、隠居の茶室としたのが始まりです。今日庵へと続く道のりは露地(茶庭)となっています。
今日庵とその露地は一般非公開で、裏千家の新規入門者向けに限定して今日庵訪問の機会を提供していましたが、現在は休止中です。
国宝「妙喜庵(待庵)」(京都)
織田有楽斎の作とされる愛知県の如庵、小堀遠州の作とされる京都大徳寺の蜜庵と並んで、国宝とされている茶室が妙喜庵(待庵)です。千利休が作ったとされています。
妙喜庵とその露地は、誰でも見学することができます。
北大路魯山人の春風萬里荘(茨城)
春風萬里荘は、昭和の芸術家・美食家である北大路魯山人が鎌倉に構えた住居を移築したものです。
夢境庵という茶室とその露地があります。夢境庵は、千宗旦が作ったとされる裏千家の茶室「又隠」を写して設計された茶室だとされています。
まとめ
今回は、露地(茶庭)について説明しました。
- 露地(茶庭)とは
茶室までの道のりにつくられた日本庭園。千利休が茶道を深山幽谷に赴いてお茶をいただく侘び・寂びの芸術として大成させるにあたり、深山幽谷へと赴く演出のためにつくられるようになった - 露地(茶庭)の構成
大きく、中門(中潜)の外側(外露地)と内側(内露地)に分けられる。外露地には外腰掛、内露地には内腰掛や砂雪隠などが置かれる - 露地(茶庭)にあるもの
露地(茶庭)には、深山幽谷へと入っていく景色を表現するものが置かれる。具体的には、石燈籠、蹲居(手水鉢)、さまざまな石、樹木などがある
以上です、最後までお読みいただきありがとうございました。
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