音楽業界のトップビジネスマン:ジェイZ、初期の成功の舞台裏

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ジェイZの語る「俺が”ビジネス”なんだ!」

ヒップホップで成功した人物といえば?

おそらく、アパレルやウォッカでもボロ儲け中の”P.Diddy”こと”ショーンコムズ”、すっかりヘッドホンの人となった”Dr.Dre”、そしてこの男、”ジェイZ“ではないでしょうか。

「俺は”ビジネスマン”じゃない、俺が”ビジネス”なんだ!」と曲でも豪語するジェイZは、いつもヒップホップ界や音楽界の長者番付に名前を連ね続けています。

ジェイZが成功した方法

自主レーベルを作ったら成功した?

ジェイZがCDを出させてくれるレーベルが無い状況で、自らロカフェラ・レコードを立ち上げて億万長者への道を駆け上がっていったことは有名ですが、その詳細な過程は意外と知られていません。

自主で出したCDが売れて大金が入ったというミュージシャンは、ある程度いるかもしれませんが、ジェイZほどの成功を手にしているミュージシャンはまず居ません。では、ジェイZはどのような活動・経営を行っていったのでしょうか?

今回、その隠された部分に光を当てた書籍を見つけました!

ジェイZのビジネスっぷりが記された本

先日、たまたまAmazonでおすすめされて以下の本を買ってみました。

これが和訳なのか何なのか、とにかくひたすら読みにくく、読んでも何が言いたいのか分かりにくい本なのですが、不幸中の幸いといいますか、第5章に初期のジェイZの活動が書かれていて、そこがとても興味深かったので、本書の100倍分かりやすく紹介してみようと思います。

ハスラー(ドラッグ・ディーラー)時代のジェイZ

ハスラーとしてのジェイZ

ジェイZは、兄がクラック中毒でした。その兄が薬を買うお金を手に入れるために、ジェイZの指輪を盗んで売ったことに怒り、兄を銃で撃ってしまったりと、ジェイZはドラッグが蔓延する環境の闇の部分にドップリと浸かりながら育ちます。

しかし、皮肉なことに、彼はハスラーとして才能を開花させていきます。ジェイZは街角の売人では飽き足らず、新天地を求めて開拓を続けていくのです。北はニュージャージー、南はバージニアまでテリトリーを拡大させます。

ジェイZのハスリングは流通の上流を担うものでした。新しい地域に赴いては、そこを仕切るギャングのトップと会い、コカインの仕入れルートを自分たちに変更するように説得して回ったのです。さながらコカインの商社マンでした。

このようにしてハスラーとして成功し、人を雇って働かせる立場になったジェイZは、それでもハスラー稼業の行き着く先が刑務所か死の二択であることを、経験と本能から嫌というほど理解していました。

デイモン・ダッシュとの出会い

ビジネスマンとして成功してやろうという野心を胸に、当時既に音楽ビジネスを始めて2人のアーティストの発掘からマネジメントを経験していたデイモン・ダッシュは、いよいよ本格的に大勝負が出来るアーティストを探していました。

一方で早くハスラーから抜け出さなければと思っていたジェイZは、デイモン・ダッシュと出会い、ハスラーを辞めてラップに専念することを誓います。

音楽ビジネスをスタート

初めてのヒットまで

とにかくレコードを作って売る。ジェイZたちは、この活動から始めます。

まず初めに二人はレコーディングをし「イン・マイ・ライフタイム」をレコードにし、その中でジェイを個人的に脚光を浴びるようにプロモートしながら、行く先々でトランクからレコードを出して売り歩いた。それでも曲はラジオでかけてはもらえなかった。

次に、彼らは地元のインディーレーベルであるペイデイ・レコードと仕事をします。この提携により初のヒット曲が誕生しましたが、彼らはペイデイ・レコードの仕事内容に不満を覚えます。

「彼らがしてくれたことは俺でも出来たことだよ。レコード店を回るのに旅行させられて、そこに俺の商品がなかったりね。ビデオも一つやったけど、2枚目のシングルのビデオを撮るときに、俺はカットされていた。買取金を払ってくれたから、それで自分の会社をスタートさせた。」

レーベルの仕事内容が自分たちでも出来るということに気付いたジェイZはついに、自分たちのビジネスを本格的に開始させるのです。

ジェイZとロカフェラ・レコードの躍進

プライオリティ・レコード社との契約

音源の流通を求めて、次にジェイZたちが契約したのはプライオリティ・レコード社です。

本の言い回しがややこしくて読み取りにくいのですが、恐らくこのとき、プライオリティ・レコード側は、ジェイZたちにプライオリティ・レコード傘下の100%子会社レーベルを作らないかと提案したと思われます。

そして、これをジェイZは拒否します。

「俺たちは今後成功して、株式もすごく価値が出るようになると分かってたから、合弁事業にしたかったんだ。」

この判断が、後にデフ・ジャムとの契約、ジェイZの飛躍を支えることになります。結局、ロカフェラとプライオリティ・レコードの契約は、ビジネス経費を折半し、レーベル販売の売上の70%をロカフェラが、30%をプライオリティ・レコードが受け取るという内容に落ち着きます。

ジェイZは、ペイデイ・レコード社の経験から、レコード作り・プロモーション等も含めて、自分が主体的に関わって、その結果が跳ね返ってくる方法を選びました。

ジェイZのプロモーション戦術

こうして『リーズナブル・ダウト』の発売に漕ぎ着けたジェイZは、ハスラー時代の経験をフルに活かしたプロモーションを行います。

手始めにハスラーたちを雇ってストリートチームを結成したジェイZは、地域の角すべてに人を立たせ、プロモーション用のポスターやチラシを貼り、車に積んだシングルを販売します。

渋谷の街中にポスターが貼られて、街角・路上のあちこちでBボーイによってCDが販売されているイメージでしょうか。想像するだけでも、お祭り騒ぎですね。すぐに警察に撤収させられそうですが。

敢えて狭い地域から、過密なほどのプロモーションで熱気を帯させて、それを爆発させていったのです。

もちろん楽曲が素晴らしかったことは言うまでもありません。ジェイZの1stアルバムの完成度の高さは、以下の記事で伝わると思います。

ヒップホップバブルに乗っかって株式売買

こうしたストリートレベルでの熱狂や、アルバムに高校時代からの盟友ビギーが参加していたこともあり、ロカフェラ・レコードの躍進は、当時ストリートのヒップホップ・レーべル獲得を目指していた大手レコード会社、デフ・ジャムの目にとまります。

デフ・ジャムはリック・ルービン等が立ち上げたレコード会社ですが、当時は経営が芳しくなく、今後の成長が期待できるヒップホップレーベルの獲得を目指していました。

そんな中で、ジェイZの存在を知ったデフ・ジャムのリオ・コーエンは、映画『ナッティー・プロフェッサー』のサウンドトラックにジェイZの「エイント・ノー・ニガ」を使うようスカウトし、この繋がりから、ロカフェラはアイランド・デフ・ジャムとの契約交渉に漕ぎ着けます。

当時、アメリカではヒップホップバブルが発生しており、シュグ・ナイトのデスロウ・レコードや、ショーン・コムズのバッドボーイが大成功していました。

こうした状況を背景として、ジェイZとデイモン・ダッシュは、何としても次に成功するレーベルの獲得を目指していたデフ・ジャムに、ロカフェラ・レコードの株式の半分を約150万ドル(約1億5600万円)で購入させることに成功したのです。

ヒップホップバブルの中で売上を急速に成長させ、そして自社株式を自分で保持していたからこそ成立したこの契約は、まさにジェイZたちのビジネスの上手さ、交渉力の巧みさを表してる気がします。

こうして、デフ・ジャムはロカフェラ・レコードの株式の半分を億もかけて取得した訳ですから、ロカフェラ・レコードを成長させないわけにはいきません。

勢いに乗ったジェイZたちと、大手レコード会社であるデフ・ジャム・レコードの強力なタッグによって、ロカフェラ・レコード、ひいてはジェイZ、デイモン・ダッシュ、デフ・ジャム・レコードの資産は膨れ上がっていくことになります。

デフ・ジャムと提携、その後…

ということで、とにかくロカフェラ・レコードを成長させて稼ぎたいデフ・ジャムの援護もあって(株式取得によって、ロカフェラ・レコードの稼ぎの半分がデフ・ジャムの稼ぎになるため)、ラジオ出演、ラップスター達のアルバムやリミックスへの共演、雑誌、ビデオ、各種賞への参加と活動の場を増やし、同時にメンフィス・ブリークやビーニー・シーゲル等のアーティストを送り出し、成功させます。

『リーズナブル・ダウト』がじわじわと売上を上げて、後々にプラチナムを達成したという謎の多い話も、こうしてみると、プライオリティ社で発売した当初は爆発的に売れたわけではないけれど、その後デフ・ジャムとタッグを組んで露出を増やしていった結果売上が伸びていったということだと分かりますね。

ジェイZ個人がデフ・ジャムとアーティスト契約したのではなく、ロカフェラの株式の半分をデフ・ジャムが取得し、言わば半子会社化したことによって、デフ・ジャムにとってはジェイZ個人の成功だけでなく、ロカフェラ・レコード全体の成功こそが利益に繋がる状態が出来上がっていました。

だからこそ、次なるアーティストの発掘・売り出しなど、二社は同じ目的に向けて、効果的に力を発揮したのでしょう。

こうして物凄い勢いで資産を増やしたジェイZとデイモン・ダッシュは、洋服生産のコメット社と組んでアパレルブランドのロカウェアを立ち上げるなど、ビジネスを拡大させます。

その頃には、ジェイZの存在自体が大きくなっていたため、初期資産を投資する必要なく、名前を貸すかわりに粗利の半分を取得するという形でロカウェアの立ち上げに参加します。

その後は、多分、カニエの獲得によってアホみたいに儲かったりしながら、皆さんもご存知の億万長者ジェイZへと駆け上がっていくのです。

ジェイZの成功理由

ということで、「自主でアルバム出したら売れまくって、なんか上手くいった」という感じだと思っていたジェイZとデイモン・ダッシュの思わぬ敏腕ビジネスマンっぷりに驚かされました。

ジェイZの初期の成功理由をまとめると、

  • ハスラーとしての濃い経験を語れたからこそヒップホップバブルの中でラッパーとして頭が一つも二つも飛び抜けていたこと
  • ただのラッパーとして終わらず、起業して株主としてロカフェラの経営に着手したこと
  • 小規模な自主経営に留まらず、デフ・ジャムへの半子会社化によって、タッグでロカフェラを成長させたこと

という感じでしょうか!

今回、紹介した本はこちら。

記事で紹介した内容は13章のうちの1~2章分に過ぎないので、読み取れさえすればジェイZについてたくさん知ることが出来ます!

ただ文章が分かりにくい!笑。

ジェイZの作品

ジェイZのファーストアルバム『リーズナブル・ダウト』はこちら。

投資を歌うジェイZ

最近では、稼いだお金を浪費せずに、有意義に投資する重要性を曲で訴えています。

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