【まとめ】自民党が進める安保法改正案のための憲法解釈を解説

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自民党が進めており、長谷部教授など自民党側が参考人として招いた憲法学者までもが国会で違憲だと述べたということで話題になっている安保法案ですが、いろいろ分からない部分が多かったので調べてみました。

 

砂川判決をもとにした政府見解

自衛権を容認した砂川判決

まず、日本の憲法をどう解釈するべきかという点では、裁判所の判例を見ていくことになりますが、自衛権に関しては砂川判決というのがあります。

これは砂川事件の裁判で出された判決です。

砂川事件(すながわじけん)は、砂川闘争をめぐる一連の事件である。特に、1957年7月8日に特別調達庁東京調達局が強制測量をした際に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数m立ち入ったとして、デモ隊のうち7名が日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法違反で起訴された事件を指す。

砂川事件/wikipedia

裁判要旨の中で、以下のように述べられています。

わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であつて、憲法は何らこれを禁止するものではない。

つまり、自衛のための戦いは憲法9条に違反しないということが示されたわけです。

また、安保条約自体についての違憲審査は司法の範囲には馴染まないということも併せて述べられています。

安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否の法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査に原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。

自衛隊の違憲審査についても、同じく長沼ナイキ事件において、高度に政治的であるため判断を避ける旨が示されています。

つまり、今の日本では、こうした国家の安全保障に関する事項は、高度に政治的であるため、明白に違憲で無い限りは政治マターだということになっているのです。

従来の政府見解

ということで、政治マターなので政府見解を見ていくことになるのですが、今回、国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官として、この件を進めている礒崎陽輔氏のウェブサイトを見てみると、以下のように整理されています。

昭和47年に初めての政府見解が出されました。その中で、砂川判決を前提としつつ、「自衛の措置」は、「あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」に対処し、「事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである」としました。その上で、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」としました。

そして、昭和57年には、政府見解によって、「自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」としたのです。

まとめると、

(1) 自衛権の行使は、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるほどの事態に対してのみ可能だよ。

(2) そうした事態を排除するために必要最小限の範囲でしか行使できないよ

(3) あくまでも個別的な自衛(日本が攻撃され、日本を守るために戦う)のみであって、他衛(他国を守るために戦う)はだめだよ。集団的自衛権(同盟国が攻撃されたら、一緒に戦う)もだめだよ。

と整理されます。

今回の政府見解

同じく礒崎陽輔氏のウェブサイトを見ていくと、

昨年の閣議決定において、「我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る」とした上で、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、①これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、③必要最小限度の実力を行使することは、自衛のための措置として、憲法上許容される」という考え方を新たに示した。

とかかれています。

これも簡単にまとめると、

(3B)やっぱり集団的自衛権は限定的には認めるよ。(現状で日本が攻撃されていなくても、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるほどの明白な危険がある場合は、いま攻撃されている他国と一緒に戦っていいことにするよ。)

ということです。

ただし、限定的な集団的自衛権も、(2)の通り、必要最小限の範囲でしか行使できないことになります。この必要最小限の範囲に関して、安部総理は「一般に海外派兵をしない」と説明しています。つまり他国で一緒に戦うことはしないということです。とはいえ、「一般に」と入っているということは、これは言葉のあやで、特殊事態だとすれば、いつでも海外派兵をして集団的自衛権を行使できるということになります。(というか、本当に日本領内でしか行使できないなら、そもそも個別的な自衛権でカバーできる範囲と被りがちで、使い道はほとんど無い気がします。安全保障をちゃんと勉強したことがないので分かりませんが。)

ここら辺の細かい規定やガイドラインのようなものは、今後策定されることになっています。

ここまでであれば、そこまでおかしなことを言ってはいないように思えます。

 

何が問題なのか

さらに解釈が拡張されていく可能性

一つ目は、さらに解釈が拡張されていき、憲法9条や過去の政府見解が骨抜きにされる可能性があるということです。

先ほどの「一般的に」を骨抜きにできるといった話のように、どんどん言葉遊びで集団的自衛権を使用できる範囲を広げていこうとしているのではないかという視点です。

たとえば今、政府が行えるようにしている活動のひとつとして「機雷掃海」というものがあります。これは貿易船などが通る海に設置された機雷を取り除く活動ですが、現状であれば日本をターゲットとして設置された機雷しか取り除けないそうです。ところが、日本の会社の船だけど、船の籍だけは税率の関係で他国に置いていた場合は、その船を守るために機雷掃海できないのか、または海外が協力して機雷掃海している中で日本だけやらないでいいのかという話があるわけです。

その件について、同じく礒崎陽輔氏のウェブサイトを見ると、以下のように述べられています。

自衛権行使の三要件のうち第3要件の「必要最小限度にとどまること。」は今回の法制においても変更されておらず、この第3要件の説明として従来「一般に海外派兵は行わない。」と答弁しているところです。ただし、「一般に」としており、例外はあり得ます。従来、それを行うことが我が国を防衛する唯一の手段である場合には、他国の領土においても戦闘を行うことがあり得るとしています。この説明は、集団的自衛権についても、該当するのです。なお、集団的自衛権の行使としての他国領域での機雷掃海は、受動的、限定的活動であることから、行うことができるものと解しています。

ここでは、受動的かつ限定的活動であることから他国領域で集団的自衛権を行使できるという新しいロジックが持ち出されています。

個人的に機雷掃海くらいは国際貢献ということで上手に理屈をつけてやればいいと思うのですが、それをこのように都度新しい理論を持ち出して自衛権の範囲を広げていくことで解決するのは良いのかというのが一つの問題点だといえます。(そもそも機雷掃海くらいなら、憲法9条の定める戦争や武力行使にあたらないと整理した方が自然な気がするけど、できないのかなぁとか。)

民主主義のプロセスを辿るべき?

法案を国会で通すので、民主主義のプロセスを辿っているといえば辿っているのですが、本来は憲法で禁止されていることをしたい場合には憲法改正が必要です。それを解釈の領域で通そうという姿勢に対して、民主主義をもっと尊重するべきなんじゃないのかと。政治を勉強している友人が言っていましたが、そういう話はあるということです。

いずれにせよ、どのように法案を通すか(憲法解釈で通すか憲法改正で通すか)という部分以上に、この法案の目的と射程のほうが気になっている人は多いと思うので、外交や安全保障の問題が絡む上で、あまりおおっぴろげに語れないのは勿論あるのでしょうが、可能な限り真摯に説明するのも筋じゃないかなと僕は思います。

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