記事の目次
筆者の川上量生氏はニコニコ動画を作った人物
この本を書いた川上量生氏は、KADOKAWA・DWANGOの代表をしている人物です。
つまりニコニコ動画を作った人です。
ニコニコ動画はユーザーがコンテンツをアップロードするコミュニティですし、経営統合したKADOKAWAは音楽や漫画等、様々なコンテンツを製作している会社です。
そんなわけで、 川上量生氏は自身はクリエイターではありませんが、コンテンツというものと切っても切れない世界で生きてきた人間なんですね。
そんな川上量生氏がジブリに入社
そんな川上氏は、コンテンツというものを、より理解するために、なんとあのスタジオジブリに入社します。
それも立場はプロデューサー見習い。
そして、本業の方は週1日出社に抑え、週4日はジブリで「風立ちぬ」等のプロデューサー見習いの仕事などをこなしながら、コンテンツについて考え抜いた内容が、こちらの本になっています。
コンテンツとは現実を模倣したもの?
アリストテレスの定義
川上氏はアリストテレスによるコンテンツから出発します。
それは以下のような内容です。
ではアリストテレスが二〇〇〇年以上前にどんなことを言っていたかを引用してみましょう。 叙事詩と悲劇の詩作、それに喜劇とディーテュラムボスの詩作、アウロス笛とキタラー琴の音楽の大部分、これらすべては、まとめて再現といえる。しかしこれらは三つの点、すなわち、(1)異なった媒体によって、(2)異なった対象を、(3)異なった方法で再現し、同じ方法で再現しないという点において、互いに異なる。
(アリストテレース『詩学』岩波文庫、二一ページ、松本仁助・岡道男訳)
つまり、アリストテレスによると、コンテンツとは現実を模倣し、再現したものだったのです。
そして、異なった媒体(音なのか、言葉なのか等)で、異なった対象を、異なった方法で再現することにより、様々な種類のコンテンツが生まれると考えたわけです。
川上量生氏の定義
他方で、川上氏はコンテンツをそこからより深く考えていきます。
なぜ、ジブリ作品は他のアニメと違い、多くの大人まで魅了することができたのか。
なぜ、子どもはアニメ作品を好むのか。
なぜ、宮崎駿氏は飛行機を大きく描くのか。
コンテンツに触れる上で浮かんできた上記のような疑問を解決していくことで、川上氏は独自の観点から、コンテンツの本質に辿り着きます。
この章では「コンテンツの本質とは現実の模倣である」という仮定から始まって、そうではなく「コンテンツの本質とは、現実世界を特徴だけで単純化してコピーした脳のなかのイメージの再現である」という結論に行き着きました。 そして、現実世界のあるものごとを反映した脳のなかのイメージは、人生における経験のなかでつくられるのだろうということを示しました。 その脳のなかのイメージが、美味しい料理や美男美女のような現実には存在しない理想的な概念の正体だろうとぼくは考えています。
つまり、人間は現実を主観的に理解して、その特徴を捉え、頭の中にイメージを持っています。
それは実際の現実とは違い、つまり客観的情報ではなく、主観的情報によって再構築されたある種の現実のイメージなわけです。
それを再びアウトプットするとき、特徴が尖った形で現実を描きなおすことになります。そうしたものがコンテンツだというわけです。
クリエイターとは、そうしたイメージをアウトプットする人間
そして、コンテンツを作るのがクリエイターならば、そうしたイメージを持ち、アウトプットする人間がクリエイターというわけです。
そうした観点から捉えなおすと、クリエイターが創作で行き詰る部分も見えてきます。
クリエイターが創作で苦しむ原因は、生活苦とか世間の無理解とかは別にすると、次の三つだけです。
・脳のなかのイメージを再現する技術的な難しさ
・脳のなかのイメージを見つける難しさ
・自分の脳にはないイメージをつくる難しさ
逆に言うと、この三点を回避すればクリエイターは創作の苦しみから解放されると言えるでしょう。
とはいえ、この三点を回避すると、きっと平凡なクリエイターとして競争力を失ってしまうような気もします。
ジブリでも、仕事が速いクリエイターは、脳の中にイメージを見つけることができない仕事は請けないといいます。
ラップでも、良いビートを聴くと情景が浮かんだり、歌詞が浮かんだりするものですが、そうしたものは全て頭の中にイメージが持てているということになるわけですね。
というわけで
そうした創作の苦労とどのように現実のクリエイターが向かい合っているかや、そもそも情報量とは何かなど、川上氏が非クリエイターの立場から、コンテンツというものを冷静に考え抜いた、この書籍。
何かを作ってる人には超おすすめです。
ぜひ読んでみてください。
(Kindle版)
(書籍)
コメントを残す