村上春樹という作家
村上春樹を読んだ3月
今年の3月は『ノルウェイの森』をたまたま手にとったのがきっかけとなり、今更ながら彼の作品をたくさん読んでいました。これまでほとんど小説は読んでこなかったのですが、意外とおもしろい。
具体的には『ノルウェイの森』、『海辺のカフカ』、『風の歌を聴け』、『スプートニクの恋人』、『中国行きのスロウ・ボート』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、それから村上春樹の翻訳でフィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』。
ちなみに『グレートギャッツビー』は村上春樹が歴代最高傑作と称していて、『ノルウェーの森』の中では”どのページを開いても完璧で素晴らしい”と主人公の口を借りて語られています。
村上春樹のリリシストっぷり
村上春樹は「英米文学の翻訳調の文章を書く」と当初評価されていたらしいですが、そのような評価もなるほど納得といわんばかりのリリシストな文章を書きます。なかでも『スプートニクの恋人』で披露される言い回しはとてもオシャレなので、ぜひここで紹介してみたいと思います。(もう読んでるよ!って感じかもしれないですが。)
スプートニクの恋人のパンチライン
医療保険
それを目にするとほとんどすべての女性患者は顔を赤らめ、あっというまもなく-医療保険がきかなかったにもかかわらず-恋に落ちた。
ハンサムな医者である、すみれの父について述べられている部分ですが、この場違いながらも文章に説得力を持たせる医療保険がたまらないですね。現実的な思考を失ってる比喩ですね。
破り捨てられる原稿
あるときには絶望にかられて目の前のすべての原稿を破り捨てた。もしそれが冬の夜で部屋に暖炉があればプッチーニの『ラ・ボエーム』みたいにかなりの暖がとれたところだが、彼女の一間のアパートにはもちろん暖炉なんてなかった。暖炉どころか、電話機すらなかった。まともに映る鏡だってなかった。
週末になると、書き上げた原稿を抱えて、すみれはぼくのアパートにやってきた。もちろん虐殺をまぬがれた幸運な原稿に限られていたわけだが、・・・
作った陶器を割ってしまう陶芸家のように、自分の書いた文章に嫌悪感を抱いて破り捨ててしまうすみれの日常を描いたところです。ここの表現はホントに最高ですね。
とても長いという表現
彼女はテーブルの上に身を乗り出した。「長い話だけど、聞きたい?」
「聞きたいもなにも、君はそれを話すためにわざわざここまで来たんだろう?いくら長くてもかまわない、話せばいい。本筋のほかに、序曲と<妖精の踊り>がついてるのなら、それもいっしょでいい」
いろいろくっついた長い演奏に例えています。オシャレ。
くだらない冗談
「くだらない冗談を燃料にして走る車が発明されたら、あなたはずいぶん遠くまで行けるわよね」
“よくそんなにくだらない冗談を思いつくな”というのをリリシストが表現するとこんな感じなんですね。
まとめ
後半は夢中になって読んでて、前の方しかメモ取ってなかったので以上なのですが、凄くテンポも後味も良い小説なので是非読んでみてください。
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