バフェットの投資事例:アメリカン・エキスプレス(1964年)

ウォーレン・バフェットの投資

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はじめに

ウォーレン・バフェットが実際に行った投資事例の詳細について知りたい方へ。

この記事ではウォーレン・バフェットが1964年に行ったアメリカン・エキスプレスへの投資について解説しています。

この記事の内容

  • バフェットがアメリカン・エキスプレスに投資を行った1964年の時代背景
  • アメリカン・エキスプレスの概要と当時の状況
  • バフェットの投資判断と結果

また、以下のページではウォーレン・バフェットの他の投資についても詳しくまとめています。

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ウォーレン・バフェット

2022年1月8日

時代背景:1964年

1964年当時のウォーレン・バフェットは、まだバークシャー・ハサウェイを保有しておらず、バフェット・パートナーシップ・リミテッド(BPL)という投資組合を運用していました。

1964年は、アメリカ経済が好調だった1960年代前半のピークに近い年で、その恩恵を受けて、米国株の株価も順調に上昇していました。1960年に600ドル程度を記録したNYダウは、1965年には1000ドル弱まで上昇しました。

1964年についてまとめた内閣府の年次世界経済報告には、以下のように記されています。

1961年3月からはじまった戦後5回目のアメリカの景気上昇は,すでに46力月目(64年12月現在)を迎え,第二次大戦後もっとも息の長かった49~53年の上昇期間(45カ月,鮮朝動乱を含む)を越えることは確実となった。

ところで、今回の長期にわたる景気上昇過程には、63年の秋頃までの様相と、その後今日までの1年間の様相にかなり大きな内容の差がみられる。すなわち、この1カ年に設備投資の拡大が本格化し、耐久消費財ブーム→稼動率の上昇→設備投資の増大という動きが,いよいよはっきりしてきた。

また成り行きを注目されていた所得税の大幅軽減が64年3月から実施され、これが経済活動をさらに押し上げた。

その結果、従来から5.5%の水準をなかなか破れなかった失業率が64年夏頃から5%前後にまで低下するにいたった。しかしながら、64年にはいると住宅建設支出が停滞ないし減少しはじめ、これまでの長い景気上昇を支えてきた一つの重要な要因が脱落しはじめた。

昭和39年 年次世界経済報告

アメリカン・エキスプレスとは

アメリカン・エキスプレスの事業概要

当時のアメリカン・エキスプレスは、数多くの事業を営んでいました。

  1. トラベラーズチェック
    トラベラーズチェックとは、あらかじめお金を支払って買っておき、旅行先でそのトラベラーズチェックにサインをして支払う、もしくは現金に換金するという、アナログのプリペイドカードのようなものです。盗難されても本人のサインがなければ支払いには利用できず、簡単に再発行できたので、旅行のときには現金よりも便利で安全でした。
  2. 郵便為替
    あらかじめお金を支払って郵便為替を購入して、支払い相手に郵送すると、支払い相手は受け取った郵便為替を現金に換金できるというもの。購入時に受取人を指定して郵便為替に記載するため、受取人以外は換金できず、盗難などに強い送金方法でした。
  3. 公共料金支払い
    公共料金を窓口などで支払える事業。
  4. 旅行
    汽船クルーズや外国旅行の企画・販売を行なう事業で、トラベラーズチェック等との親和性がありました。
  5. クレジットカード
    2022年現在のアメリカン・エキスプレスのメイン事業であり、この頃はちょうどクレジットカード事業を新規事業として育てていた時期でした。まだ会員数は100万人程度でしたが、順調に成長していました。
  6. その他
    その他に、商業銀行、外国送金、輸送、ウェルズ・ファーゴ(現在は商業銀行だが、当時のウェルズ・ファーゴは現金・貴重品の輸送ビジネス)、ハーツ(レンタカー)、倉庫など

主要事業はトラベラーズチェックと郵便為替であり「先に現金の支払いを受けて預かっておき、あとで支払い先にその現金を渡す」というビジネスでした。

アメリカン・エキスプレスのモート(堀)

現在でも、アメリカン・エキスプレスはクレジットカードの有名ブランドですが、当時のアメリカン・エキスプレスも強いブランドとネットワークを持っていました

トラベラーズ・チェックは、国外まで含めて広大な提携先ネットワークが整備されており、大抵の銀行やホテルで換金することができました。郵便為替についても、全米50州すべてで販売されている唯一の郵便為替でした。

こうしたネットワークは競合が真似しようとしても一朝一夕で手に入るものではありませんでした

アメリカン・エキスプレスの当時の状況

事業状況

(1)倉庫事業で巨額の特別損失(サラダオイル事件)

事業概要の部分では「その他」にちらっと記載した倉庫事業は、事業規模としては小さかったのですが、当時、巨額の特別損失が発生していました。

アメリカン・エキスプレスは、トラベラーズチェックや郵便為替などお金を預かる事業をしているため、とても信用されている企業でした。そこで、顧客から物を倉庫に預かり、その物を実際にアメリカン・エキスプレスが預かっていますよという保証書を発行するという、ブランド力を活かした倉庫事業を行なっていました。

その倉庫事業の顧客であった、アライド・クルード・ベジタブル・オイル・リファイニング社という植物油の会社は、アメリカン・エキスプレスに預けた植物油を担保に借入を行なっていました。しかし、これはアライド社の詐欺だったのです。アライド社が借入の返済を踏み倒したため、債権者が担保の植物油を差し押さえ、そのタンクを開けてみると、なんと中身はただの海水だったのです。

アメリカン・エキスプレスは、確認プロセスが漏れていたために、中身が海水であることに気づかずに「うちで植物油を預かっていますよ」という保証書を発行していました。そこで、借入を踏み倒された債権者はアメリカン・エキスプレスに補償を求めたというわけです。

アメリカン・エキスプレスは、何度も書いている通り、主要事業がトラベラーズチェックや郵便為替であるため、ブランドを守ることが非常に大切であり、この件についても全額を賠償すると表明していました。アメリカン・エキスプレスの簿価が7800万ドルだったのに対して、補償額は6000万ドルとも言われていました。

(2)クレジットカード事業の成長

もともと、トラベラーズチェックという旅行者向けの決済ネットワーク事業を行なっていたアメリカン・エキスプレスなので、クレジットカード事業に参入すると、そのブランドとネットワークを活かして、あっという間にトップ企業のひとつとなりました

また、トラベラーズチェックの利用者というのは、現金を持って海外に行くのが怖い人、つまり多額の現金を旅行に持っていくような富裕層であったため、アメリカン・エキスプレスのクレジットカード事業は顧客も富裕層が多いのが特徴でした。

一方、トラベラーズチェックや郵便為替といった、顧客が先払いをする事業をメインにしていたアメリカン・エキスプレスは、顧客があと払いするクレジットカード事業のオペレーションに苦戦しており、赤字の状態が続いていました。そんな中で、CEOに就任したハワード・クラークは、決済利用から30日以内の支払いをルール化したり、会員費や決済手数料を値上げしたり、強力なマーケティングキャンペーンを展開していました。

財務状況

収益・利益(1963年)

  • 売上:約100Mドル
  • 営業利益:約15Mドル
  • 純利益:約11Mドル

バランスシート(1963年)

  • 資産:約1,020Mドル
  • 負債:約941Mドル
  • 純資産:約78M千ドル

(1)収益・利益

当時のアメリカン・エキスプレスは安定的な成長を遂げていました。

1954年から1963年までの間に、売上は37Mドルから100Mドルまで2倍以上に成長していました。また、EPSも同時期に1.05ドルから2.52ドルへと2倍以上になっています。年率換算した当該期間の成長率は、売上が12%、純利益が10%でした。

営業利益率15%のビジネスが毎年10%以上で成長しており、その事業が強力なブランドとネットワークによって守られているというのが、当時のアメリカン・エキスプレスの姿でした。

(2)バランスシート

アメリカン・エキスプレスのバランスシートは、トラベラーズチェックや郵便為替、銀行業などで顧客からお金を預かるビジネスであったため、純資産が約78Mドルに対して、約941Mドルもの現金を顧客から負債として調達できていました。これらの顧客から預かったお金を米国債や地方債、証券投資やクレジットカード事業での顧客貸付で運用して、通常の事業利益とは別に収益を得ていました。ROEは14%を超えていました。

(3)時価

バフェットによる当時のアメリカン・エキスプレスの買値は平均で40ドル程度と想定されます。時価総額に換算すると178Mドル程度となります。これはサラダオイル事件が発覚する前と比べて、約半分に下落していました。

バフェットの投資判断

バランスシートの資産価値

当時、倉庫事業の賠償負担は6,000万ドルと想定されており、税金の圧縮効果を考えると、実質的な負担は4,000万ドル程度になると考えられていました。純資産が7,800万ドル程度なので、バランスシートの株主資産は賠償後で3,800万ドル程度となります。

さて、バフェットは、178Mドル(17,800万ドル)程度でアメリカン・エキスプレス購入したわけですから、株主資産の5倍程度ということになります。これはサンボーンマップカンパニーやデンプスターミルへの投資にみられたようなシケモク投資でないことは一目瞭然です。

言い換えると、バフェットはアメリカン・エキスプレスの清算価値ではなく、利益を稼ぐ力に価値を感じて、同社の株式を購入したということです。

利益の資産価値

当時のアメリカン・エキスプレスの純利益が約11Mドルなので、約178Mドルの時価総額はPER16倍程度です。これは当時のバフェットが支払う金額としては、非常に高いPERです。

しかし、先ほど述べたように、アメリカン・エキスプレスは顧客から預かった現金を米国債や地方債、証券などで運用しており、その運用益が約4Mドルありました。これを加えると、アメリカン・エキスプレスの利益は約15Mドルで、PERは12倍程度まで下がります。

アメリカン・エキスプレスはそもそも純利益が毎年10%伸びており、トラベラーズチェック事業などが順調に成長すれば、顧客からの預かり金はさらに増えるため、運用益もあわせて増加することが期待できます。さらに、次なる成長事業であるクレジットカード事業を保有していたことも考えると、PER12倍は総合的に安いと判断することができたのでしょう。

バフェットの投資実行と結果

ファンドの40%を投資、半年で2倍に

バフェットは、最大で投資組合資金の半分をアメリカン・エキスプレスに投資しました。

アメリカン・エキスプレスの株価は2年ほどでサラダオイル事件前の水準まで戻ったため、バフェットの買値からは2倍ほどに上昇したことになります。

この投資はバフェットにとって大成功だったのです。

アメリカン・エキスプレスはバフェットのお気に入り銘柄

バフェットは、匿名組合の運用時代にこのようにアメリカン・エキスプレスで大きく稼ぎました。

銀行や保険といった、顧客から資金を調達して運用益を得るビジネスを好むバフェットにとって、同じように顧客から現金を預かって運用益を得るアメリカン・エキスプレスのビジネスモデルは魅力に映ったことでしょう。

その後、バークシャー・ハザウェイでも1990年代からアメリカン・エキスプレスに投資しており、現在でもポートフォリオの主要銘柄のひとつとなっています。

バフェットの投資事例からの学び

アメリカン・エキスプレスへの投資は、当時の若いバフェットの中では珍しく、シケモク投資ではなく、事業価値を適正に評価して行われた投資でした。現在は、チャーリー・マンガーとの出会いも経て、このような素晴らしい事業を持つ企業の株式を適正価格で購入する方法がバフェットの主なスタイルとなっています。

さて、私たちがこのバフェットの投資から学べる点としては、世間がスキャンダル等で騒いでいて、倒産が噂されているような状況こそ、冷静にその企業の財務状態や事業モデルを確認すれば、投資チャンスの可能性があるということです。

特に、当時のアメリカン・エキスプレスのような素晴らしい競争力を持つ唯一無二の会社がスキャンダルなどで株価が暴落している場合は、大きなチャンスだといえるでしょう。

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