【エッセイ】「褒め屋」と大人

RAqのエッセイ(Essay)

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大学生のときに、学祭で「褒め屋」という企画を友だちとやったことがある。

超簡単な企画で、座ってもらって、100円で(たしか)3分間(だったと思う)褒める。とりあえず、ひたすらに褒める。

この企画はめちゃめちゃ盛り上がった。なんせ1人あたり3分も掛かるので、3分の間に2人以上が並べば、どんどん待機列が長くなる。待機列が長くなると、みんなが興味を持つ。

「なんだあれ?」「褒め屋?なにそれ?」「なんかめっちゃ褒めてる(笑)」「並ぼ」。そんな感じ。

ぜひ大学生の方は学祭でやってみてください(笑)。

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さて、僕の性格の話。

僕は昔からわりと改善すべき点ばかりが目につく性格だと思う。

これはみんなそうなのか、僕が一際そういう傾向が強いのか、相対的なことは分からないけれど、単純な絶対値のバランスとして「良かったね」ということよりも「もっとこうした方が良かったね」ということの方が圧倒的に目につく。

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子どもの頃は、この性格(性質?)をネガティブに捉えたことはあまりなかった。

今でもこの性格はネガティブよりもポジティブに働く部分の方が多いとは思うけど、一点だけ気になった点がある。それは「ああ、ここもダメだなあ」という発見が、自己肯定感や毎日の楽しさにマイナスに働く部分があるという点。

そりゃそうで、改善点なんて「better」の話だから永遠に尽きないし、毎日毎日、ダメだったことばかり反省していたら、シンプルにしんどい。

しかも、大人というのはとにかく時間が足りない。

改善点が目につくけれど、それを全部直していくだけの時間はなかったりする。それでも、ある時間でなるべく改善していくんだけど、ずっと放置されているものがあったりして、ああダメだなとか思ってしまう。

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さて、そんな性格について、子どもの頃はあまりネガティブに捉えたことはなかったと書いた。

それはどうしてなんだろうというのを少し考えてみたところ、その答えはおそらくだけど「子どもは褒められたり、成果が認められる機会が多いから」だと思った。

たとえば、「勉強」で考えてみる。

そうすると、「ああここがまだ覚えられてないな」とか「この解法の問題をいつも間違えるな」とか改善点を直していけば、定期的にあるテストで点数がついて、まあ露骨に褒められるということがあるかは分からないけれど報われる。報われると、しんどさはあまり感じない。

一方、大人になるとそういう機会は少ない。普段の生活習慣を改善してみても、収入が増えても、まあ誰かに褒められるということは大してない。というか収入増えたとか、そもそも周囲に言って回らないしね。そうするとしんどさにフォーカスが当たりやすい。

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要するに、大人は褒められることが圧倒的に少ない。

だから、ダメなところを見つけて改善するというだけでは心が参ってしまいやすいと思う。

じゃあ、褒めてもらうしかない。

誰に褒めて貰えばいいのか、自分でしょ。いつ褒めて貰えばいいのか、今でしょ。

ということで、毎日、きちんと自分を褒めていこうと思った話でした。

written by エッセイ集を出版したい @raq_reezy

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一番最近リリースした曲。コラムの内容とは関係ありません。

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