昨日、2ヶ月弱の八戸生活を終えて、東京に戻ってきました。
この2ヶ月間はわりと消費的に過ごした気がします。
(出費も東京で暮らしているときの軽く倍くらいでした。)
八食センター、種差海岸、奥入瀬渓流、十和田湖、恐山、映画、映画、飲み、飲み、飲み。ついでに飲み。
八戸にいる間は終始、なぜか中学生時代が脳裏によぎるようなノスタルジックな生活だなぁなん思っていたので、昨日新幹線の中でそのことについて考えてみたのですね。
そして、ひとつの仮の結論のようなものが出たわけです。
ノスタルジックは消費的だなと。
ノスタルジックは消費的
僕たちはまだ小さいうちは生産活動を行いません。
もちろん砂場で城を作ったりと一定のクリエイティブな活動はしていたかもしれませんが、乱暴に言ってしまえば、全体的には「子どもほど消費的に世界を生きている」という、当たり前の事実に気付いたわけです。
つまり、八戸では普段より消費的な生活をしたことで、ノスタルジックさを感じたのかなと。
ここはおそらく凄く感覚的に結びついてる気がします。
(「思い出」や「子ども時代」と「ノスタルジック」は凄く論理的に結びついているのです。)
なので、たとえば音楽でノスタルジックな雰囲気を出したければ、歌詞を徹底的に消費的にしてみればいいのではないかなと。
そのうち試してみたいと思います。
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