僕はこれまで数年間、インターネットのもたらす希望の側面ばかりを見てきました。世の中はどんどん便利になっています。個人による発信も簡単になりました。そして当然、その反対にはインターネットのもたらす絶望という側面があるのです。
インターネットは物凄い勢いで生産者から価値を奪って、消費者に分け与えます。
これまではインターネットの普及、アクセスできる広大な消費者市場が生産者の価値の暴落を補っていました。単価が1/100になっても100倍の市場にアクセスできればオッケーという具合に。しかし、これには限界があります。日本語のインターネット圏は既に飽和気味。新しいものは一瞬で真似され、飽きられ、逆の競争原理が働いて価値が失われます。すべてが一瞬でコモディティ化してしまうのが現状なのです。
差別化はどうでしょう。
「差別化」というのはインターネット以前の世界における概念だと、僕は最近考えています。インターネット以前の世界は消費者に選択肢が少なかったため、差別化することで数少ない選択肢のひとつに入れたのです。
レストランの選択肢が3つしかないとき、人気店が中華と和食なら、イタリアンを開業すれば良かったのです。
しかしインターネットによって、ありとあらゆる情報や選択肢が消費者に与えられたいま、(レストランの選択肢が100も200もあるとき、)ちっぽけな差別化では何の役にも立たずに、大量の選択肢の中に埋もれて消えていってしまうのです。
喜んでマトリックスなんて書いてちゃダメです。
当時小学生の僕は馬鹿な歌詞だと思っていたのですが、ナンバーワンよりもオンリーワンの時代が本当にやってきます。ただし、元々特別なオンリーワンではありません。オンリーワンになるためには、人がしないことに挑戦し続けなければいけない。そうでないと一瞬でワンオブゼムになってしまい、インターネットは容赦なく全てを剥ぎ取っていきます。
さて、ワンオブゼムにならない方法はいくつかあります。
(1) ちょっとした情報感度とスピード
「インターネットで全ての物があっという間にコモディティ化する」という考えすら、一年もしないうちに誰もが知ってること、つまりコモディティ化された知識になるでしょう。つまりほんの少しの先行が天と地を分けるようになるのです。他人よりも情報の取得が少し早いことは大きな武器になります。そして、武器を拾うためには、今手にしている武器を捨てることです。
ラップでも最新のフロウなんて言って喜んでたら、一年もしないうちに誰もがやってるフロウになってしまいます。Migosが火を付けた三連符フロウの日本でのコモディティ化の早さには流石にびっくりしましたが、そういう時代なのです。
(2) 絶えることのない新領域への挑戦
DeNAやグリーはソーシャルゲームの虚業と叩かれ続けました。
しかし、彼らはソーシャルゲームという新領域を開拓し、多くの後続がソーシャルゲームをコモディティ化させてしまった今、「巨大リアル産業のインターネット化」という新領域に挑んでいます。
たとえば、DeNAは医療分野や漫画分野といった、まだインターネット化されていなかった分野に次々と進出しています。
DeNAとリアル産業に関する参考記事:DeNA守安社長インタビュー「iemoとmeryは、サービスの哲学と構造的な強みが魅力的だった」
(3) 参入障壁が高い場所を目指す
インターネットは簡単そうなものから価値を奪います。誰でも出来ることは、みんながやるから、価値がなくなるという単純な話です。Migosのフロウなんて死ぬほど簡単だったわけです。
一方で、インターネットとグローバル化が進んでも、世界最高峰の難問に挑む数学者や物理学者の価値は失われません。高い次元に挑戦すれば、その大変さは計り知れませんが、その見返りとしてコモディティ化を免れることが出来るのです。
順番待ちの下積みなんてやっちゃだめです。下積みなんて誰でも出来るからです。
日本語はグローバル化の中でひとつの参入障壁としての役割を果たしていました。日本の人口が増えていくなら外国のイノベーションを取り込んで日本語化していれば良かったかもしれません。そして残念ながら日本の人口は、この先減っていく一方なのです。
(4) 意味不明でいること
意味不明なものは真似されません。簡単に言葉では説明出来ないような良く分からない活動をするのです。
意味不明なものに価値があるかは分かりませんが。僕はわりとある気がします。意味不明なもの好きです。
インターネット×グローバル化の世界において、花屋の店先に安住するという選択肢はありません。ナンバーワンの花でも、オンリーワンの花でもなくて、花以外の何かにならなければいけないのです。(戒め)
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