村上龍の『逃げる中高年、欲望のない若者たち』を読んでいたら、ヒップホップについて、ちょっとだけ触れている部分があったので紹介します。
メロディが消えて、ビートと言葉だけの音楽が生まれた
以下の文章です。
国民的なメロディは、国民的な悲しみが国を覆っているときに必要とされる。第二次世界大戦は多くの人々にそれまでにない強烈なダメージを与えた。廃墟からの復興には、大勢の人々の心を癒す美しいメロディが必要だった。終戦直後の日本を描いた映画やテレビドラマでは必ず『リンゴの唄』という歌謡曲が流れる。『リンゴの唄』が聞こえてくるだけで時代がわかるわけだが、八十年代以降、演歌だろうが歌謡曲だろうがポップスだろうがフォークソングだろうが、そんな歌はどこにもない。
国民的な悲しみが消えたときに、メロディも消えたのだ。メロディが失われると、ジャズも終わってしまった。イタリアのカンツォーネもフランスのシャンソンも、もちろんポルトガルのボサノバも全部「懐かしのメロディ」と化した。メロディが消失したあとに、ビートと言葉だけの音楽が生まれるのは当然のことだった。ヒップホップは必要とされて誕生したのだと思う。
ということで
まぁヒップホップの歴史はそんなんじゃねーよという反論もあるでしょうが、こういう見方も面白いなぁと思いました。
村上龍は小説だと毎回途中で挫折するのですが、コラムは本当に面白いのでオススメです。
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