どうも、RAq(@raq_reezy)です。
今年に入り、アメリカのヒップホップシーンに、一部のラッパーたちによって、新しい風が吹き始めているような気がしています。
それは「従来のヒップホップにおけるステレオタイプの黒人像」を克服しようという風潮です。
なんとなく、アメリカは「ラッパーのステレオタイプなイメージ」を本格的に克服する時期に差し掛かったのかなという気がしているんだよな
— RAq(らっく) (@raq_reezy) May 8, 2018
もちろん、以前からこうした課題認識を持っていたラッパーも存在すると思いますし、僕の視点が偏っているだけの可能性もありますが、ここ最近で、タイムリーにそうした話題を目にしているように感じるのも事実です。
そこで、今回は直近の作品や騒動を振り返ることで、この風潮について少し考えてみたいと思います。
J.Cole、カニエ、そしてガンビーノ
新しい風潮を直近で感じたのは、J.Coleの新作アルバム『KOD』、カニエのツイッター等での発言、そしてチャイルディッシュ・ガンビーノの新作「This is America」です。
まずは、それぞれの内容を振り返ってみたいと思います。
J.Coleが自傷的なラップを批判する理由
先月、年齢的にも33歳と大人になったJ.Coleが『KOD』をリリースしました。
これはドラッグ、スマートフォン、アルコール、お金、女性など、様々なものに中毒になってしまう現代人にフォーカスを当てたものです。
アルバム中で、J.Coleは、何かに中毒になるというのはトラウマ等からの現実逃避行動であると考え、自分を現実逃避に向かわせる「心の中の悪魔」と対峙することを訴えます。
その中の「FRIEND」という曲で、ドラッグに逃避したくなったときに出来ることのひとつとして、J.Coleが勧めているのが「マインドフルネス」などの文脈からアメリカでも流行している「瞑想」です。
俺は気持ちの落ち込みとドラッグのコンボが人を死へと誘うのを見てきた。
お前の中に潜む悪魔は、必ずお前をいつか捕まえる。
だから、俺はお前が悪魔から逃げるよりも、立ち向かうのを見たいと思っている。
これはあまりクールなメッセージではないと分かっている。
だけど、ドラッグを使いたいほどに落ち込んでいたとしても、もっといい方法がある。瞑想することだ。
J.Cole – “FRIEND” (Ft. KiLL Edward)
しかし、こうした精神面に立ち入るような内省的な思考というのは、従来のマッチョイズム的なヒップホップにおいては、J.Cole本人が曲中でも述べているように「クール」とされるものではありませんでした。
ラップの主流が「ギャングスタラップ」であったことからも分かるように、ラッパーはストリートで生死の狭間を生き抜いてきたタフな存在であることが求められ、弱さや女々しさを見せることはタブーであったと言えるでしょう。
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ラッパーたちの「メンタルヘルス」に対する考え方が変容
強いことが重要であるヒップホップ文化においては、気持ちの落ち込みやセラピーといったテーマは、女々しいと見なされるものであり、あまり取り上げられてきませんでした。また、「ヒップホップこそがストリートのセラピーだ」といった考え方が一般的でした。
たとえば、Jay Zなんかを見ると、失恋したときでも涙を流さないクールなギャングスタであったわけです。
俺の目からは涙が流れないみたいだ
だから、代わりにこの曲に泣いてもらわなきゃな
JAY Z – “Song Cry”
そんな中、ここ10年ほどは徐々に女々しさを見せることが許されるようになってきていました。
それは、2008年にカニエ・ウェストがリリースした『808 & Heartbreak』を皮切りに、ドレイクやキッド・カディといった「歌うラッパーたち」が登場したことも大きく影響していると思います。
そして、昨年は、そうした意味でひとつのティッピングポイントを迎えた年であったと言えるでしょう。
XXX TENTACIONなど新興のラッパーたちが孤独や鬱屈とした感情を歌ったかと思えば、ロジックの自殺防止を訴えた「1-800-273-8255」が大ヒット。
俺はずっと気が滅入ってた
自分ひとりで過ごしていた
俺は自分がおかしくなってしまったかと思ったよ
こんなの俺の人生じゃないって思ったんだ
だけど、俺はやっと生きていたいと思えるようになった
ようやく生きていたいと思えるようになったのさ
今日は死にたくない、今日は死にたくないんだ
Logic – “1-800-273-8255”
JAY Zでさえも、最新アルバム『4:44』に収録されている「Smile」の中でセラピストを利用していることを明らかにしました。
俺のセラピストは、症状が再発したって言った。
俺は「おそらく、俺がうっかりとEuropian Whipsに飛び乗ってしまったんだろう」と言った。
神は、鎖からみんなを解き放つために俺を地上に送った。俺は真実で、生きている。俺は肉体を纏った神。
他のやつらは空虚だ。白いスーツについた染み、低いIQ。
腹いせでTIDALから曲を引き上げる。
ああ、俺が何をしたっていうんだ。お前を自由にしようとした以外に。
JAY Z – “Smile”
こうした延長戦上にあって、J.Coleが「ドラッグにハマるのではなく瞑想をしろ」というアドバイスを送ることが可能になったのでしょう。
さらに、J.Coleは「1985(Intro to “The Fall Off”)」にて、自暴自棄な黒人をエンターテインメントとして消費する観客というテーマにも触れています。
だけど、自分が世の中に与える影響を考えたことはあるかい?
白人の子どもたちは、お前たちが世の中を舐め腐ってるのを好んでいるよな
それは肌が黒いやつはそういう態度を取ると世の中が期待しているからさ
あいつらはお前らがダブしたり、薬を摂取するのを見たがっている
顔から踵までタトゥーが入っているお前らを見たがっているよな
だけど、もっと深いところで、俺はリアルさをキープしなきゃいけない
あいつらはお前らの曲を聴いて、偽物の黒人気分を味わってるのさ
J.Cole – “1985 (Intro to “The Fall Off”)”
考えてみれば、「お金やドラッグ、女性への中毒を戒め、瞑想や堅実的な生活を勧める」という今回のJ.Coleのアルバム『KOD』は、何とも「非ヒップホップ的」だと言えないでしょうか。
“1985 (Intro to “The Fall Off”)”の解読はこちら
J.ColeがLil Pumpや若いラッパーに送った「成功し続けるためのアドバイス」を読み解く。
続いて、カニエ・ウェストの直近の発言を見てみます。
人種問題よりもエゴを優先するカニエ
カニエ・ウェストは鬱症状を抱えており、療養を続けていましたが、最近ツイッターに復帰しました。
初めは、哲学的なツイートをしており、みんなも楽しく見ていたものと思います。
しかし、その後、トランプ大統領を支持するようなツイートを始めたことで、カニエは批判を浴びるようになります。
その末に、TMZのインタビューで「400年間も奴隷であったのは黒人自らが選択したことだった」とも捉えられる発言をしたことで、多くの批判を浴びて炎上してしまいました。
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「奴隷制度は選択だった」とカニエが発言したTMZインタビューのほぼ全文翻訳。
一方で、上のリンク先の全文を読めば、彼が言いたいことの本質というのは「白人に奴隷として搾取されてきた黒人という歴史観」だけに留まらず、いまは一人の自由な個人として、自由な思考を持って、自分たちの生活向上や人種問題の解決を考えていくべきではないかということにもあるように読めます。
もちろん、このように人の感情をかき乱すような「間違った情報」を発信するのはトランプが大統領選で利用した手法に近しいものでもあり、ポリティカルに正しいものだとは言いにくいものがあります。また、カニエ・ウェストの場合は、彼自身が個人的な壁やフラストレーションを抱えている時期に、主語の大きな発言をして世間を引っ掻き回すという癖があるので、必ずしも、ここのラインアップに加えるのは適切ではないかもしれません。
たとえば、彼は自身がファッション業界に興味を持っているのに、ファッション業界からは一人の売れっ子ミュージシャンとしてしか扱われず、ファッション業界で思うように仕事をさせてもらえなかったときに、「ファッション業界は人種差別的で、黒人は綿から自分で摘まないと、あいつらは満足しないんだ」といった内容を曲中で爆発させていました。
しかし、時期的にも非常にタイムリーでもあり、ひとつの文脈として理解できるのではないかと思い、今回はここに加えてみました。
彼の意見への賛否はあるにせよ、黒人コミュニティの一員であるとは述べつつも、個人主義的で、トランプを支持するというのも、またラッパーのステレオタイプを覆すような行動であったように感じられます。
ステレオタイプが浮いて見える「This is America」
そして、このステレオタイプの問題を正面から取り扱っているのではないかとも読み取れるのが、チャイルディッシュ・ガンビーノの「This is America」です。
チャイルディッシュ・ガンビーノ(本名:ドナルド・グローヴァー)は、もともとコメディアンや脚本家、俳優としてキャリアを成してきた人物であり、ヒップホップシーンの中でもユニークなラッパーであると言えます。
彼は「どこまで真剣なヒップホップ・アーティストなのか?」という課題を乗り越えてきたラッパーでもあります。
昨年、前作『Camp』でデビューし、数々の大型音楽フェス出演を果たすなど、俳優/コメディアンのドナルド・グローヴァーではなく、ラッパーのチャイルディッシュ・ガンビーノとして着実に支持を獲得してきたものの、同作は音楽メディア「ピッチフォーク」でボロカスに評されてしまった。ピッチフォークは特にインディ・ロック、インディ・ミュージックに特化したメディアなだけあって、ミックステープ時代からインディ・ロック系のミュージシャンの楽曲を拝借してラップしてきた、そして『Camp』でも引き続きそのサウンド・プロダクションを踏襲したガンビーノにとって、同サイトでの酷評にはキツいものがあっただろうと推測できる。
続・CHILDISH GAMBINO~屈辱のピッチフォーク評から『ROYALTY』、そして「俺はラッパーだ問題」のゆくえ~
しかし、彼は着実にキャリアを積み重ねて、信頼を得てきました。
そんなチャイルディッシュ・ガンビーノがリリースしたのが上のミュージック・ビデオ「This is America」です。
“This is America”の解読はこちら
エンタメ業界の黒人像と現実の乖離や銃社会を歌うガンビーノを読む。
これがアメリカだぜ
俺の地区には銃ばかりだ
俺は銃を携帯してるのさ
俺は銃を持ち歩かなきゃいけないんだChildish Gambino – “This is America”
この曲は、陽気なブリッジと、深刻な雰囲気のサビやバースが交互に行き来するユニークな構成となっており、ミュージックビデオでは、その合間にドナルド(ガンビーノ)が人を射殺する描写が挟み込まれます。
こうした曲やミュージックビデオは、一般的に消費されるアフリカ系アメリカ人のカルチャーと、その現実との乖離がテーマになっているのではと指摘されています。
Geniusのあるユーザーの指摘によれば、ビデオの前方で踊るGamibinoと子供たち、そしてその背後で逃げ惑う人々の構図の対比は、SNSなどで消費されるアフリカ系アメリカ人によるカルチャーと、その陰で暴力にさらされ続けている人々の間の切断を描いたものだという。
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ビデオの前方で変な顔をしながら陽気に踊るガンビーノと子どもたちが、どこか浮いて見える、不思議な映像となっています。
こちらは華々しいエンターテインメントの世界におけるステレオタイプと、切断された現実の人々の状況の差異を描いていると言えるでしょう。
ヒップホップの功罪
アメリカにおけるヒップホップは、アフリカ系アメリカ人がエンターテインメント業界に次々と革命的なイノベーションを起こしたこと(ラップ、スクラッチやブレイクビーツ、サンプリング、グラフィティアートなど)、そうしたイノベーションとセットで人種問題についての問題提起を行なっていったことによって、黒人のアメリカにおける地位向上を促進してきたことが、その大きな功績だと言えるでしょう。
一方で、ヒップホップのアーティストたちが商業的な成功を目指すにあたって、ギャングスタのカルチャーを強く押し出したりしたことは、そうした生き様が「ハードでイケているもの」という誤解を後進の子どもたちに与えてきたという側面もあるでしょう。
JAY Zが稼いだお金を浪費せずに投資して次世代を豊かにすることの大切さについて歌ったことに対して、50 centから「ゴルフコースの音楽みたいだ」という批判が飛び出したことなどからも、教訓的な意味合いよりも、道を踏み外した過去を歌うことの方が「リアル」だという感覚がベースにある様子が感じ取れます。
しかし、ラップでゲットーを抜け出して成功を手にしてきたアーティストたちにも、たとえば子どもが出来て、次の世代がアメリカでどのように見られ、どのように生きるべきかといったことを考える時期に差し掛かる中で、これまでは自分たちがお金を稼ぐために利用してきた、たとえば「ギャングスタやハスラー(ドラッグの売人)でしょ」といったステレオタイプすらも払拭して、真の意味で人種による偏見がない社会を次世代に残すことが、ひとつの課題となってきているのかなと感じる最近なのでした。
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だけど、俺は1億円の価値がある話を9ドル99セントであげてるくらいに、ナレッジを安売りしてるんだぜ。
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