はじめに
ヒップホップとは何かを知りたい方へ。
この記事では、ヒップホップについて、以下のような内容を説明しています。
- ヒップホップの起源は?
- ヒップホップの4大要素ってなに?
- ヒップホップの4つの精神ってなに?
ぜひ、最後までお読みください。
*それ以外について知りたい方は「ヒップホップの教科書」からお探しください。
written by @raq_reezy
ヒップホップの起源・始まり

DJクールハークのブロックパーティー
ヒップホップの始まりとされるのは、1973年8月11日に開催された1つのパーティーでした。
パーティーの主催者はDJのクールハーク。
ニューヨークに住んでいたクールハークは、この日、妹の誕生日パーティーを兼ねたブロックパーティーをブロンクス地区のセジュウィック通り1520番地にあるマンションの多目的スペースで開催しました。妹に洋服を買ってあげるお金を稼ぐためだったとも言われています。
このパーティーがヒップホップの起源だとされる理由は、クールハークがパーティーで流した音楽にあります。
当時1970年代のアメリカはディスコブームでした。そんな中で、クールハークはファンクやソウルといったブラックミュージックを爆音で流したのです。
このパーティーは地元で一躍人気となり、クールハークはその後もたびたびブロックパーティーを開くようになりました。また、このパーティーに影響を受けたパーティーが、アフリカン・バンバータらによって、どんどん広がって行きました。
DJクールハークの発明:ブレイクビーツ
そして、このときクールハークは、ヒップホップにとって非常に重要な発明をしています。それがブレイクビーツです。
曲の中で、ボーカルの歌がなく、ドラムや楽器だけが演奏されている間奏部分(ブレーク)だけを、2枚のターンテーブルで交互に再生することで、永遠にループさせ続けたのです。
このブレイクビーツにあわせて、パーティーを盛り上げるMCが喋り続けたことがラップの起源となり、このブレイクビーツにあわせてパーティーの参加者が踊ったことがストリートダンスの起源となりました。
こうした新たな表現手法が次々と発明され、徐々にヒップホップ文化として形づくられていきました。
*画像はPinterestより
ヒップホップの4大要素

ヒップホップには、4大要素と呼ばれているものがあります。
ヒップホップの4大要素
- DJ
- ラップ(MC)
- ストリートダンス
- グラフィティ
これらは、いずれもブロックパーティーなどで磨かれた、ストリートの表現手法です。
これらのヒップホップに必要不可欠な表現手法は、ヒップホップの4大要素として整理されています。
逆にいえば、こうした手法を用いた表現が「ヒップホップ的な表現」だということもできます。
*画像はPinterestより
DJ

DJとは、ディスクジョッキーの略で、パーティーにおいてレコードを選んで音楽をかける存在です。
ヒップホップは、DJのクールハークがブラックミュージックを流すブロックパーティーを開催したことや、ブレイクビーツを発明したことがその起源となっています。
そのため、ヒップホップの4大要素には、当然まずはDJがあります。
ラップ(MC)

DJは、パーティーを盛り上げるために、横にMCをおいて、パーティーを盛り上げてもらうようになっていきました。
たとえば、クールハークのパーティーでは、コーク・ラ・ロックという友人のMCがマイクを握り、参加者に向かって話しかけたり、大麻を売りつけたりして、パーティーを盛り上げていました。
やがて、ただパーティーを盛り上げるだけでなく、韻(ライム)を踏んだり、書いてきた歌詞(リリック)を披露したりするMCが登場し、ラップへと繋がっていきました。
ブレイクダンス

DJがプレイするブレイクビーツの上で、踊るようになったのがブレイクダンスです。
クールハークの生み出したブロックパーティーを普及させて、ヒップホップを形作っていった、アフリカン・バンバータというDJがいます。
バンバータは、地元の自警団(ギャング)のボスでもありました。クールハークのブロックパーティーを見たバンバータは、こうしたパーティーを活用して、ギャングの衝突を平和的に解決できないかと考え、自身傘下のギャング組織をヒップホップ組織であるズールーネイションに作り替えていきました。
その際に、ギャングの暴力による衝突を代替するものとして、ダンスによるバトルが考案されました。
グラフィティ

グラフィティは、スプレー缶などを用いて、建物の壁や地下鉄などに文字や絵を描くというものです。
グラフィティの誕生は、ヒップホップの発祥よりも少し前に遡ります。1960年代には、コーンブレッド(CORNBREAD)やクール・アール(COOL EARL)といったグラフィティライターが、フィラデルフィアでグラフィティに名前を添えるようになったことで、認識されていました。
1982年には映画『ワイルドスタイル』によって、ヒップホップ文化と融合して広まって行きました。
グラフィティは、最初は落書きとして認識されていましたが、グラフィティに影響を受けたアートを製作したバスキアなどの活躍もあり、ストリート発のアートとして、アート界で受容されるようになっていきました。
知識(ナレッジ)

前述のアフリカン・バンバータは、ヒップホップ4大要素に加えて、「知識」をヒップホップの5つ目の要素として提唱しました。
そのため、DJ、MC(ラップ)、ストリートダンス、グラフィティに、さらに知識を加えて、ヒップホップの5大要素ということもあります。
ヒップホップ文化の4つの精神

ヒップホップを誕生させたのがDJのクールハークだとすると、それを整理して一つの文化につくりあげたのがDJのアフリカン・バンバータです。
ヒップホップの4つの精神は、クールハークのブロックパーティーに影響を受けて、ヒップホップを地元に普及させたアフリカン・バンバータが、ヒップホップを広めていく上で大切にした4つの考え方です。
具体的には、ピース(平和)、ユニティ(団結)、ラブ(愛)、ハヴィング・ファン(楽しむこと)の4つです。
アフリカン・バンバータは、地元のギャングであるブラックスペード団のボスでした。ギャングといっても、当時は、まだクラックコカイン等が普及するよりも前だったので、ドラッグの売買や殺人などを頻繁に行う過激なカラーギャングというよりも、各コミュニティを守る自警団の要素が強かったものと思われます。
こうした地元のギャングたちは、たびたび暴力的な抗争や衝突に至ることがありました。アフリカン・バンバータは、ギャング同士の抗争を、みんなでブロックパーティーを楽しむヒップホップによって沈められないかと考え、スペード団をヒップホップ組織であるズールーネイションに作り替えて行きました。
そのため、ヒップホップの4つの精神には地元の平和を願ったアフリカン・バンバータの願いが込められていると言えるでしょう。
*画像はRolling Stoneより
ピース(平和)
1つめはピース(平和)です。アフリカン・バンバータが地元の平和を願ってヒップホップを広めたわけですから、当然これが最初に来ます。
ユニティ(団結)
2つめはユニティ(団結)です。一人一人は力が弱かったり、声が小さくても、みんなで団結することで大きなムーブメントを起こせると考えたのです。
ラブ(愛)
3つめはラブ(愛)です。家族や仲間、コミュニティへの愛によって、ストリートの様々な問題を解決しようとしたのです。
ハヴィング・ファン(楽しむ)
4つめはハヴィング・ファン(楽しむ)です。難しいことや行儀の良いことばかり言っていても、そのムーブメントは広まりません。そもそもヒップホップはブロックパーティーから始まっているわけですから、まずは楽しむことが大切です。
関連書籍・商品
『ヒップホップ家系図 vol.1(1970’s ~ 1981)』
『ヒップホップ家系図 vol.1』は、ヒップホップの黎明期を描いた漫画です。少し高価ではありますが、ヒップホップの成り立ちについて、楽しく学ぶことができます。
『ヒップホップ家系図 vol.1(1970′s~1981)普及版(ソフトカバー)』
米国ワシントン・ポスト紙の”2013年ベストコミック” 米国シアトル・タイムズ紙の”2013年ベスト音楽コミック” SPIN誌の”2013年ベスト音楽本” 等多くの名誉ある年間ランキングに次々と選出!
米国で今最も注目されている若手コミック作家の一人エド・ピスコーが、世界を激変させた米国生まれの偉大なる芸術表現: ヒップホップの世界を描いた。
amazonより