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ドクター・ドレー(Dr. Dre)
ドクター・ドレー(英:Dr. Dre、本名:アンドレ・ロメル・ヤング、1965年2月18日 – )は、カリフォルニア州コンプトン出身のラッパー、プロデューサー、実業家です。
1980年代前半から音楽活動をしていたドクター・ドレーは、全米にアメリカ西海岸発のギャングスタラップを知らしめたクルー = N.W.A.に加入します。1986年のことでした。N.W.A.は大成功しますが、金銭面の揉め事によって1991年に空中分解。
続いて、ドクター・ドレーは、実業家のシュグ・ナイトとともにデス・ロウというレーベルを設立すると、ソロデビューアルバムの『The Chronic』をリリース。驚異的なヒット作となり、グラミー賞においても、ベスト・ラップ・ソロ・パフォーマンス賞を獲得しました。
1990年代のアメリカ西海岸(ウェストコースト)のヒップホップを語るにあたっては、リリック面でのギャングスタラップと、サウンド面でのGファンクは避けて通れませんが、このGファンクというサウンドを生み出して大成させたのがドクター・ドレーでした。
自身のソロアルバムを大成功させたドクター・ドレーは、続いて『The Chronic』にも客演していたスヌープ・ドッグのデビューアルバム『Doggy Style』をプロデュースして、ビルボード1位を獲得。さらに、デス・ロウが新たに獲得したスター = 2パックのシングル曲「California Love」をプロデュース&自身も客演参加して、こちらも大ヒットさせるなど、アメリカ西海岸のヒップホップやデス・ロウの全盛期を演出しました。
しかしその後、アメリカ西海岸と東海岸のヒップホップのビーフが過熱して東西抗争となり、2パックとノトーリアス B.I.G.が亡くなるという悲惨な結末を迎えると、そうした対立をセールスのために煽ったシュグ・ナイトの方針などに反対して、デス・ロウを離脱。新たにアフターマス・エンターテインメントを設立して『ドクター・ドレー・プレゼンツ〜ジ・アフターマス』をリリースするなど、新たな活動を行っていきます。とはいえ、アフターマスでは、なかなか自分以外のヒットアーティストを生み出すことができませんでした。
そんな中、1998年に白人ラッパーのエミネムと契約。ドクター・ドレーの全面プロデュースのもと、エミネムが世界トップのセールスを誇るラッパーになると、ドクター・ドレーは全盛期の勢いを取り戻します。エミネムと共同で50セントと契約すると、2003年にはデビューアルバムの『Get Rich Or Die Tryin’』をプロデュースして大ヒットさせます。さらに2005年にはゲームのデビューアルバム『The Documentary』もプロデュースして大成功を収めました。
この頃から、誰もが知る「beats」というヘッドフォン会社や、アップルミュージックの前身となるストリーミングサービスなどを立ち上げはじめ、実業家として忙しくなりますが、2010年にはヒップホップの新王者とも呼ばれるようになるケンドリック・ラマーのメジャーデビューアルバム『Good Kid, M.A.A.D City』をプロデュース。大ヒットしたこちらの作品は、コンシャス・ヒップホップの金字塔となりました。
written by @raq_reezy
ドクター・ドレーの名曲・おすすめヒット曲
Still D.R.E. feat. Snoop Dogg
Nuthin’ But A G Thang feat. Snoop Dogg
Kush feat. Snoop Dogg & Akon
Forgot About Dre feat. Eminem
California Love featured by 2pac
I Need A Doctor feat. Eminem & Skylar Grey
ドクター・ドレーのおすすめライブ動画
Up In Smoke Tour
COACHELLA 2012
ドクター・ドレーのアルバム・ディスコグラフィ
- The Chronic(1992)
- 2001(1999)
- Compton(2015)
ドクター・ドレーの歌詞・和訳
- 準備中
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